2010年度工学院大学 第1部電気システム工学科
△近代の文学(Modern Japanese Literature)[1312]
2単位 永野 宏志 非常勤講師
- <授業のねらい及び具体的な達成目標>
- この講義のテーマは「テロ・管理社会下で生きる<セカイ系>的私たちについて」である。そのモデルとして、不気味さとユーモアが混在し、饒舌的な修辞と病的イメージに満たされた夏目漱石のデビュー作『吾輩は猫である』を取り上げる。猫は管理されペットとして生きている。そこでこの講義では、私たちも含めた生きた世界に起こるコミュニケーション、運動と認知のシステム、小説ジャンルの破天荒さ、悲劇と喜劇の違い等から、いくつかの概念を用いて、管理社会で生きるとはどういうことかを考えて行く予定である。
- <授業計画及び準備学習>
- 内容と進度については『吾輩は猫である』全11編の1編を毎回の目安とする。が、テーマが他の編にもわたる場合が多いので、この設定はあくまで基点に留めたい。また、初期漱石の他の文学テクストや東京大学での講義録「英文学形式論」『文学論』『文学評論』、さらに他の作家の作品(ローレンス・スターン、ホフマン、スウィフト、ルイス・キャロル、カーライル、宮沢賢治、江戸川乱歩、カフカ、ディズニー、ディヴィッド・リンチ等)を参照しながら横断的に進行する予定である。
第1回 『吾輩は猫である』導入編・・・どうやって、犬でもネズミでもなく、猫になるのか 第2回 『吾輩は猫である』第一編・・・二つの分身とディスコミュニケートし合う諸世界 第3回 『吾輩は猫である』第二編・・・悲しいから泣くんじゃない、泣くから悲しくなるんだ 第4回 『吾輩は猫である』第三編・・・巨人国を徘徊する小動物 第5回 『吾輩は猫である』小休止(1)・・・拡大縮小するイギリス文学的身体と『猫』 第6回 『吾輩は猫である』第四編・・・言葉の喋れない報告者または探偵する猫 第7回 『吾輩は猫である』第五編・・・泥棒と写生文または子規の俳句と漱石の小説の違い 第8回 『吾輩は猫である』第六編・・・異なるもの同士のコミュニケーション(異類婚姻譚) 第9回 『吾輩は猫である』第七編・・・風呂場を鳥瞰する猫または猫の『衣装哲学』 第10回 『吾輩は猫である』小休止(2)・・・管理社会下の生またはペットから見た世界 第11回 『吾輩は猫である』第八篇・・・体内をめぐるHumor(体液:ユーモア) 第12回 『吾輩は猫である』第九編・・・「読む」ということまたは猫の読心術 第13回 『吾輩は猫である』第十篇・・・物を食べることと言葉を食べること 第14回 『吾輩は猫である』第十一編・・・死を実況中継する猫とフィクションの効用 第15回 学習成果の確認(試験)
- <成績評価方法及び水準>
- 毎回講義後半の10分程度その回のテーマに即した課題をその場で記述して平常点とし(50点)、さらに期末試験を実施し(50点)、両者併せて総合的に評価する。
- <教科書>
- 夏目漱石『吾輩は猫である』(岩波文庫)。それ以外については、毎回補助的なプリントを配布し、必要な文献はDVD、ビデオなどでも提示する。
- <参考書>
- マリー・ロール・ライアン『可能世界・人工知能・物語理論』(水声社)、三浦俊彦『虚構世界の存在論』(勁草書房)、M・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(水声社)、J・v・ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)、四方田犬彦『空想旅行の修辞学』(七月堂)、A・ネグリ+M・ハート『<帝国>』(以文社)、河本英夫編『精神医学』(青土社)
- <オフィスアワー>
- 講義の前後10分程度
- <学生へのメッセージ>
- IT社会以後工学系の仕事は海外移転され、国内では社会に出ることも厳しくなっている。理系文系の区別がITによって消滅しつつある今、自分で何をエンジニアリングするか、真剣に考えて講義に臨んでいただきたい。IT社会に即対応できる人材を育てるため、寝るしゃべる等はその場で単位なしとするので、その点を熟慮したうえで受講してもらいたい。
- <備考>
- 1995年以降メディアにおける臨床問題が前景化したとする中井久夫氏らの報告があり、「癒し」等の表現で現代生活に浸透している。<病院管理>的な現代社会の基本タームは、田中智志氏『臨床哲学がわかる事典』(日本実業出版社)がテーマごとにマッピングしているので参照されたい。
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